教育長日記子どものための富士見町史読書・研究ノート長野県教育史研究

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拝啓 信濃教育会会長 様

2013年08月07日
 昨日、本欄で中 繁彦先生の『ぼく、半分日本人―父さんは中国残留孤児―』のことに触れたさいに「朝日新聞(長野県版)」(1995/09/08)に紹介した拙稿、を参考までに掲載する。
 ≪大見出しは、信教会長の責任論に疑問≫、小見出しが2本≪青少年義勇軍≫≪事実を語り継ぐこと≫ 

拝啓 信濃教育会会長・○○ ○○様
 ぶしつけに紙面を借りてお手紙を差し上げる失礼をお許しください。長野県教育に関心を抱く教育学研究者のはしくれとして、次の一点に絞って率直におたずね致します。最近、本紙長野版に連載された「国策の名の下に―青少年義勇軍と教師たち」の関連インタビュー(1995/08/22)で、先生は「信濃教育会(信教)に満蒙開拓青少年義勇軍送出の道義的責任はない」と端的に述べておられます。
 一読して、私は、居直りとも受け取れる姿勢に驚くと同時に、ここまで無頓着に言い切ってしまわれる先生の歴史認識に、大きな疑問を感じました。
 先生は「教育会は国策の是非について判断すべき立場になかった。だから責任はない。国に従うのが自然の流れだった。当時はよかれと思ってやったことだ」と言われています。
 しかし、第一に、先生のご発言は、去る8月15日に政府が閣議決定した「国策を誤り、植民地支配と侵略によって多くの国々に多大な損害と苦痛を与えた。この歴史の事実を謙虚に受け止め、反省しおわびする」旨の「首相談話」が発表された直後のものですが、この政府の歴史認識からさえ大きく後退しています。先生は国策について、今もって御自身の判断を回避しておられませんか。 
 第二に、過去に信教はその時々の国策の是非を問うてこなかったでしょうか? 川井訓導事件(注)一つとっても、それは事実と反します。このようなお考えだとすると、今後も信教は国の教育政策は問わず、個々の会員教師にも国策は問うな、ということになります。もしそうだとすれば、先生は民主主義国家を否定することになり、主体性のある子どもを育てるという信教の教育方針とも矛盾しませんか。
 第三に、青少年義勇軍の応募を渋る本人や父母を必死に説得して、全国一多くの教え子を満州(現在の中国東北部)に送り出した当時の長野県の青年教師たちが、戦後50年、既に70歳、80歳を超えた今、ようやく重い口を開いて国策への協力責任を痛切に反省し、おわびの気持ちを語り始めました。7回の連載では、重大な責任をわびながら、今もなお苦悩し、揺れ動く6人の元教師の心が痛いほど私たちに伝わってきました。
 ○○先生の割り切ったお考えは、これとは極めて対照的です。双方の責任意識の大きなずれは、切ない印象として私の心の残ります。
 なお、県内高校出身の学生に、満蒙開拓青少年義勇軍について聞いてみたところ、ほとんど全員が、小・中・高校でこの歴史的事実を教えられた記憶がないと言うのです。そうであれば余計、過去の戦争の事実をきちんと子どもに語り伝えていかなければならないと思うのです。
 「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目になります」というワイツゼッカー前ドイツ大統領の演説が世界中に感銘を与えた、先生もよく御承知のことと思います。県下の小・中学校の大半を会員に擁する、信濃教育会会長としての高い見識を期待せずにはおられません。
敬具
  (川井訓導事件) 1924(大正13)年、松本女子師範付属小の訓導が修身の授業で、教科書 を使わずに森鴎外の作品を用いたため、休職を命じられた事件。信濃教育会はこの訓導を擁護した。
                    (長野県短期大学教授・教育学)
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「長野県教育史研究」は、ライフワークの研究テーマであるにもかかわらず、継続的な積み重ねをしてこなかったことを反省し、公開研究のかたちで進めようと意図して新設したものです。
既に発表したものを繰り返し繰り返し徹底的に推敲しながら、完成を目指します。
先ずは、既に発表した原稿を掲載します。
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